文学景観の「和洋折衷」と宗教理想の「一体両面」

                                   文学景観の「和洋折衷」と宗教理想の「一体両面」

                                                    ――現代性と現代主義理論による『銀河鉄道の夜』解読

                                      The Modern Way and Wayward Modernism

 

                                                                   要旨

 『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の「最高作」でありながら、最も難解の作品でもある。伝統的にこの作品を単なる「法華文学」として捉える諸説に与せず、本稿は現代性と現代主義理論に参考しつつ、「文学景観」の「西洋現代―日本伝統」を横糸とし、「宗教理想」の「キリスト教―仏教日蓮宗」を縦糸とし、『銀河鉄道の夜』に秘めた賢治の本意を解読しようとする。本稿の分析によると、彼が追い求めた究極的な理想は、文学領域内の「和洋折衷」と日蓮宗の「一念三千」の概念システムにありとあらゆる宗教の平和的な整合であり、「みんなのほんたう幸ひ」であるということが分かった。

キーワード:『銀河鉄道の夜』 文学景観 宗教理想 和洋折衷 一念三千

   

    1. はじめに

 宮沢賢治(1896―1933)の『銀河鉄道の夜』が誕生して以来、その作品は、「文学景観」と「宗教理想」という二つの領域におけるそれぞれの二元矛盾がゆえ、精妙な解読の可能性と奥深い理論空間に富んでいる。「文学景観」の側から見れば、賢治は天文学、気象学、考古学と地質学などの西洋自然科学の概念システムを総合的に用い、現代的に日本伝統の文学景観を「書き直した」。「宗教理想」の側から見ると、終生の仏教日蓮宗の信徒として、賢治は訝しく大量のキリスト教の独特なイメージと隠喩を活用した。*1したがって、「文学景観」の「西洋現代―日本伝統」を横糸とし、「宗教理想」の「キリスト教―仏教日蓮宗」を縦糸とし、『銀河鉄道の夜』は「二次元・四象限」の理論領域を秘め、賢治の追い求める「現世浄土」*2への解けなければならぬ謎を織り成しとげた。

    今までの先行研究を巡り、各国の主流理論を考察すると、気づきやすいのは、多数の学者たちはこの二組の矛盾を対立的に分析し、単一化された答えを提供するという傾向が強い。例えば、中国の学界において、早期の宮沢賢治研究の権威者周異夫教授が「宮沢賢治の世界観は、『法華経』を主体としての、仏教傾向が極めて強いものである」*3という断言を言い切ったため、かの国では、後継者たちもほぼこのような学術経路に辿って、「結果ありき」のような方法でこの本の中の所謂「キリスト教への批判」をサーチして、「宗教理想」の次元で、「仏教日蓮宗」の絶対的な支配的地位をますます強化し続けていた。

    しかし、筆者はそのような諸説には与せず。それは、彼達は本作品の根源的な問題――「もしも賢治は本当にそういった反キリスト教の態度を持っていたら、どうして彼はこの作品の中で、昔から使い込んだ日蓮宗の概念と隠喩を捨て、逆にわざわざ銀河鉄道列車にキリスト教の天国を巡礼させたか」が解読できないからである。故に、筆者は従来の研究経路はよほどに賢治の本意を曲解した。そのため、本稿は、現代性(Modernity)と現代主義(Modernism)理論に基づき、「非二元論的(Non-Dichotomic)」「融合的(Syncretic)」な視点を用いて、以上述べた謎の解読を探りたい。

キリスト教の天国を巡る銀河鉄道列車

  

    2. 「銀河」の謎:日本伝統と西洋現代の折衷

 2.1 現代性理論の二重命題

 物語の中の「半西洋・半和風」の童話の町を歩み、華々しいながら理性の閃きが秘められた満天の星空を仰ぎ、研究者にとっては、賢治の現代性への独特な理解は本作品を巡る研究の永遠の主題に違いない。一方から見れば、賢治は西洋のクレヨンを使って、日本の風景に新たに色を付けて、「現代性境界線の延長」を表した。もう一方、その西洋のスペクトルの後ろに、日本の文学伝統も密かに描き出された。それは立派な予見のように、20世紀70年代から国際学界の現代社会における「伝統の立会」という命題にも当たっている。したがって、『銀河鉄道の夜』における現代性問題を語る前に、現代性理論の両大基本的な命題、または成り行きを振り返らなければいけない。

 周知のように、現代性理論は「現代化(Modernization)」理論の哲学要旨の纏めである。現代性理論の発展は常に、人々の「現代化」という過程への理解の深化と一致している。早期の現代性理論はカール・マルクス(Karl Mark)、マックス・ヴェーバーMax Weber)とエミール・デュルケーム(Emile Durkheim)三人の人類現代化過程の理解と分析より生まれた。彼らは、主に現代化過程の三つの特徴を強調した。それは、工業化(Industrialization):人の主要的な働き場所が家庭から工場に変わる;都市化(Urbanization):大量の人口は農村から都市へ移住し、そこで就職する;官僚化(Bureaucratization):大規模の官僚制を用いた政府と社会組織が現れる。

 その後、彼らに継いだ学者たちはそれぞれの領域から現代化理論の発展に貢献した。例えば、キツジハクトク・ラシマンとトーマス・バーンスタイン(Gilbert Rozman & Thomas Bernstein)が科学技術、生産力と経済の発展の総合的な影響を強調した。クリス・バルカー(Chris Barker)は中世紀の後半期に、封建制度と農業経済から資本主義と世俗化・理性化された国民国家への移り変わりを述べた。それから、アンソニー・ギデンズ(Antony Giddens)は経済的な現象より、「現代文化」の独特性を強調し、それは過去ではなく未来を社会生活の理想とし、過去あらゆる社会秩序よりも強い発展の精神動力を提供したなど述べた。

 にもかかわらず、以上のいずれの定義と解読からすれば、伝統的な現代化理論は始終変わらずに、「征服性」の姿態を示していて、つまり、「現代性の境界線」の世界中の果てしない拡張を期待、或いは、予言している。それに相応しく、早期の現代性理論もその現代化理論の中から、三つの精神要旨を析出した。それは、情け深い伝統的な人間関係と感情を捨て、批判的な視点から全てを評価する理性主義(Rationalism)、個人的な利益を否定し、個人の想像力を縛った集産主義を否んで、その代わりに、個人の福祉、平等の権利と独立の人格を提唱する個人主義(Individualism)、過去を名残惜しく振り返る循環論の歴史観を捨て、代わりに未来を展望する進歩主義ということである。*4

 特に注意しなければならないことは、以上のような現代性理論は各地方/民族の特殊性を認めず、現代性は必ず伝統的な基本価値と生活方式を変えると強く信じているということである。故に、「現代性境界線の延長」はつまり現代性がありとあらゆる国の伝統を征服するということにイコールする。にもかかわらず、1971年にアメリカの社会学者Edward Shilsの革新的な論文『Tradition』の主張は全学界を響き渡った。「あらゆる物事には、過去がある...革新的に見えそうな物も含めて、あらゆる出来事は、伝統の手のひらから逃げ出すことはできぬ。」*5その以降の大量の実証研究*6と規範研究*7が有力にShilsの論説を支持した。その結果は、学者たちは改めて現代社会における「伝統の立会」という命題を正視できるようになった。今の主流理論も「現代性と伝統は対立的な両極ではなく、互いに交え、互いに支えている力である」ということが認識できるようになってきた。

 驚くことに、早くも20世紀の20年代に、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は今の学者たちの領域に至った。そして、彼は天才的な筆で、この西洋現代性と日本伝統の「和洋折衷」を美しく表した。筆者の一存では、その「和洋折衷」には、以下述べる如く、二重の境界がある。

 表の境界では、『春と修羅』と同じく、この「交える現代性」は、まず西洋自然科学の述語と概念システムの創造的な活用として現れる。「20世紀資本主義科学技術及びイデオロギーの網を織り出した(weaves the technological and ideological web of twentieth-century capitalism)」*8ことを通じて、さらに「美学領域に...感受性と関連性の延長の瞬間を作り出した(anomalous moment of perceptual and referential expansion…in the aesthetic realm)」*9;「心を付き纏う美―煌めく色彩、しなやかな無垢さ、舞い上がる幻想(haunting beauty-the dazzling colors, the weightlessness of innocence, and the soaring imagination)」*10を描けた同時に、より一層和洋折衷の「幻想的で、でも、はっきりと見えざる本体論と社会存在の全体を写った(an imaginable, but never wholly visible, ontological and social totality)」*11

 しかし、もっと奥深い境界では、その融合は日本文学伝統と西洋隠喩の交差に宿っている。具体的に言うと、賢治が出した「銀河の謎」は正に解読の入り口だと思う。この「謎」の二つの側からの分析によって、賢治は「天の川」の日本文学伝統を使い、マクロな時間と空間の背景を提供し、「銀河」の西洋連想を生かし、景物の具体的な描き方と人物のミクロな行動動機を作り出したということが明らかになった。そういうことを通じて、「和洋折衷」が完璧に実現され、伝統と現代性が絶妙なバランスと融合が達成できた。

 2.2 「謎」の日本側:「天の川」の日本文学伝統

 日本語において、「銀河」という単語は二重の呼び名がある。即ち、和語の「天の川」と漢語の「銀河」である。それから、日本の古典和歌では、四季の自然景物を詠む時に、様々な特殊な習慣と制限がある。銀河というイメージもその例外ではない。具体的に言うと、銀河を描く時には、二重の伝統がある。まず、銀河はいつも地面の河川、或いは、海と同時に描かれる。このような詩には、天の川と地面の河川が「流れる」という特徴を共有したので、詩人は「空と大地の二つの川が同時に流れる」という壮大さが描けた。また、銀河はよく七夕祭り、或いは、お盆祭りという二つの祭りに繋がっている。その習慣によって、銀河そのものも初秋の季語になってきた。

夏の銀河

 この文学伝統は日本最古の和歌集『万葉集』に遡ることはできる。例えば、柿本人麻呂にはこのような短歌がある。

天の川、安の渡りに、舟浮けて、

秋立つ待つと、妹に告げこそ

Ama no gawa / Yasu no watari ni / Fune ukete

Aki tatsu matsu to / Imo ni tsuge koso

――『万葉集』第十巻『柿本朝臣人麻呂歌集』

 この詩の中に、人麻呂は『古事記』の中の「安の渡り」と中国の「織姫と彦星」の典故を引用した。作者は天の川を仰いでいると、高天原に「安の渡り」があるということを覚えて、自然にこの世の渡りを連想した。故に、天の川と地上の川を同時に描くことができた。それから、「織姫と彦星」という典故を活かしたことで、七夕にも繋げた。

 この伝統は長い歴史を越えて、日本古典文学の盛時とその幕切れまで続いた。例えば、千年後の江戸時代に、「俳聖」と呼ばれた松尾芭蕉にもこのような名句がある。

荒海や佐渡に横たふ天の川

Araumi ya / Sado ni yokotau / Ama no gawa

――『奥の細道』第三十八節

 この詩の中で、「荒海」と「天の川」は俳句の首尾に置かれ、共に夜空の下の佐渡島に流れていく。その景観は、まばゆく輝いていながら、どこからかちょっとした悲しさが芽生える。それから、時節に関しては、この俳句の編集に関するあるエピソードを注意しなければならない。もともと芭蕉は詩の前に「7月6日」だと標示した。しかし、コロンビア大学の白根教授は芭蕉の旅を考証した結果によると、彼が本当に佐渡島に着き、この俳句を書いたのは実際「7月4日」のはずだった。芭蕉が噓をついた理由は、恐らく「七夕」との繋がりを作りたがったということである。その繋がりで、自分の旅の愁傷を嘆く同時に、遥かに離れた愛する人への思いを語ることもできるようになった。*12

 それから、『銀河鉄道の夜』の中でも、賢治はその二重の文学景観を引き継いだ。物語の時間と空間背景は町の「銀河祭」の夜に、「灯籠流し」が行われている川の周りである。その名も無き川は、賑やかな祭の開催場所でありながら、カムパネルラがクラスメートのザネリを助けるために自分が溺れてしまった場所でもある。そして、ジョバンニがその川の河岸の周りに、眠りに誘われ、幻想的な銀河鉄道の旅に立った。従って、「天の川」と「地面の川」が同時に見えて、描けるだけではなく、その二つの場所で物語そのものも同時に進めていく。

 なお、銀河鉄道の旅が「銀河祭」という虚構の祭りの即夜に起こったことも意味深い。賢治は本の中で、「銀河祭」「星の祭」「ケンタウル祭」という三つの呼び名を不連続に使ったにもかかわらず、その祭の本質は「七夕」と「お盆」の現代融合、或いは、現代リメイクにすぎない。例えば、川面で行われる「灯籠流し」という風習も、お盆のティピカルな習わしである。それだけでなく、お盆の「先祖/亡くなった人たちの魂を送る」という寓意も、「川」は此岸と彼岸の交差点で、生きる人と亡くなった人の魂が最も交流しやすいところだということを表した。然ればこそ、現実に溺れたはずのカムパネルラの魂は、親友のジョバンニに会えて、共に銀河鉄道で最後の旅に出ていた。

 したがって、「天の川」の二重の日本文学伝統は物語の「時・空背景」を定めており、極めて日本式の舞台を作り、「銀河の夢幻と幻想」「生者と死者の交流」「此岸と彼岸」などの伏線を張った。

 2.3 「謎」の西洋側:「The Milky Way」の西洋連想

 この日本式のマクロな舞台の上で、銀河の西洋化の具体的な描写はどこもかしこも見られる。英語で、「銀河」の呼び名は「The Milky Way」なので、その直接的な連想対象は「ミルク」、或いは、「乳の流れ」と思われる。日本の文学伝統においては、「銀河」と「ミルク」の間には、ほとんど関連性が見つからない。けれど、この本の中に、「ミルクのような特徴(Milkiness)」は銀河の主要の特徴として強調された。

 「ではみなさん、さういふふうに川だと云はれたり、乳の流れたあとだと云はれたりしてゐた、このぼんやりと白いものが何かご承知ですか。」物語の冒頭に、先生は午後の授業で、その西洋的な連想をジョバンニの頭に入れた。それから、「またこれを巨きな乳の流れと考へるなら、もつと天の川とよく似てゐます。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かに浮かんでゐる脂油の球にもあたるのです…」と賢治は更にこの比喩表現を強化した。

 先行研究によると、賢治が残したある1931年9月6日のノートの中に、彼は英語で「The Great Milky Way Rail Road / Kenjy[sic] Miyazawa」*13という内容を書いたことが知られる。故に、彼自身は意識的にこのような銀河の西洋的な表現を活用しているということが分かった。

 もっと重要なのは、それは単なる描写の比喩表現のみならず、主人公の最初から最後までの行動動機でもある。筆者はジョバンニの現実世界での主要の行動を以下の四つの段階に分けている:

 1.授業とアルバイトの後、ジョバンニは病気になった母のために、届いていなかった牛乳を取りに牧場に行った。

 2.始めて牧場に行ったジョバンニは、係さんがいなかった故、牛乳を取れず、牧場の後ろにある小さな岡に行った。

 3.そこで、午後の授業で聞いた「牛乳の道」の連想は「牛乳を取る道」の途中で蘇って、銀河鉄道の旅に立った。

 4.銀河鉄道の旅が終わったあと、もう一度牧場に行って牛乳を取った。その直後、カムパネルラが溺れたことを聞いた。

 したがって、「The Milky Way」は単なる「牛乳の道」ではなく、「牛乳を取る道」とも言える。「牛乳の道」の連想が「牛乳を取る道」の途中で蘇ったことは、物語を銀河鉄道の旅へと導く重要なモチーフだと思われる。*14もしも牧場の人のミスで牛乳が届かれなかったという偶然がなければ、銀河鉄道の旅も発生できないであろう。少なくとも、プロットがもっと不自然になってしまうに違いない。

 以上述べた如く、『銀河鉄道の夜』において、賢治は「銀河」という概念を巡り、絶妙に芸術的に設計した。銀河の日本文学伝統はマクロな時間と空間の背景を定めており、その西洋的な連想は景物のミクロな比喩表現と行動動機を提供した。「天の川」と「地上の川」の重なりは、夢幻と魂の交流に導いた独特な領域を提供し、「牛乳の道」と「牛乳を取る道」の交錯はプロット発展の螺旋階段を作り出した。文学景観領域における「和洋折衷」はこのように実現できた。

    3. 「一念三千」の列車:罪と罰と贖いの二重軌道

 3.1 現代性の苦楚と現代主義の詰問

 にもかかわらず、憧れの現代の美しい景観の中にいても、主人公の心は幸福の彼岸に辿り着けない。ジョバンニの貧しく苦しい生活は、現代文明の中の人類の疎外と苦楚を表している。彼の孤独かつ臆病で、いじめられた人物像は、現代主義の最も根源的な詰問を語っているーー精神の喪失感の中に、新たなる救済と希望を待ち望んでいる。その渇望こそが、この銀河鉄道の旅の究極意義――永遠救済理想への宗教巡礼である。

 賢治が生前語ったのように、『銀河鉄道の夜』は「童話」として理解できるが、「少年小説」として捉えることも可能である。故に、ジョバンニという主人公の人間像と彼の成長、または彼の持つあの神秘な「切符」は、従来の研究の重視点である。本文も、この二つの要点から、更なる討論に進めたい。

 主人公のジョバンニは明らかに幸せな少年ではない。彼は貧しい家に生まれて、北方で出漁する父は長く音沙汰がなく、母も病気になってしまった。校内で、彼はクラスメートに嘲られ、冷たくいじめられて、友達は親友のカムパネルラだけなのだ。校外では、朝晩も印刷所で働かなければいけない。こんな状況で、彼は複雑な心理特徴を持っている。まず、彼は劣等感を抱き、臆病かつ敏感である。一方、生活の練磨が故に、彼の心には強靭なところもある。

 通説によると、ジョバンニの人物像は賢治の1921年の経歴に繋がりがある。浄土真宗を信仰した父との言い争いがため、賢治は1921年の一月に家出し、東京の日蓮宗の宗教団体の国柱会の本部に行った。妹が重病になって家に戻った8月までの7か月の間に、彼は国柱会の布教活動に参加しながら、東京大学の赤門の前の文信社で大学講義を謄写するというアルバイトで生計を辛く維持した。それから、ジョバンニと同じように、25歳の賢治にも保坂嘉内というただ一人の親友しかいない。*15なので、『銀河鉄道の夜』に、主人公がひしひしと感じた現代性がもたらした苦楚の由来が分かった。

 その現代性の苦楚こそが現代主義思潮と文学の根源である。萩原タカオ教授のまとめによると、現代主義は主に以下の三つの特徴がある。まず、現代主義は現代性から生まれたものである。故に、現代的な世界への広がった認識と理解を継承した。そして、現代主義は現代性の反逆でもある。現代社会の進歩した景色を脱構築し、現代性による苦しみ、疎外感、乱調、暴力を強調する。にもかかわらず、その苦しみの後ろに、おぼろに調和、団結、救済への渇望が透き通って見える。例えば、フランツカフカ(Franz Kafka)の『掟の門前』『変身』『審判』、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の『ユリシーズ』と『フィネガンズ・ウェイク』、トーマス・エリオット(Thomas Eliot)の『四つの四重奏』、マルセル・プルースト(Marcel Proust)の『失われた時を求めて』、とサミュエル・ベケット(Samuel Beckett)の『ゴドーを待ちながら』などの作品もその透けて見える渇望の明証である。*16

 そして、『銀河鉄道の夜』には、その願望は宗教の形で表した。具体的に言うと、その救済への希望はジョバンニの手の中にある「ほんたうの天上へさへ行ける切符」「どこまで勝手にあるける通行券」の形として具現化した。したがって、本論文はそれから、賢治が宗教を通じて救済を求める道を辿り、以前の学者たちの「法蓮文学式」の単一化した経路依存性を打破し、「賢治の本意はキリスト教の救済を日蓮宗の一念三千の理論の中に整合させる」という結論を論証する。

 3.2 今宵の軌道:キリスト教罪と罰と贖い

 北十字駅から出発し、最後には南十字駅に終着した『銀河鉄道の夜』に描かれた旅は、少なくとも表から見れば、キリスト教の天国への巡礼に違いない。物語の表のロジックもキリスト教的な「罪―罰―贖い」の過程である。

 まずは、キリスト教においては、「七つの大罪」は人類のあらゆる罪の主な分類方法である。そして、『銀河鉄道の夜』には、少なくとも三つの罪が写された。それは、蠍の貪食(gluttony)、ザネリの高慢(pride)と鳥捕りの強欲(greed)である。

 それぞれの罪を犯した後、彼らは例外なく宗教的な罰を受けた。蠍は最後にいたちに見つけて食べられそうになって、逃げる途中で井戸に落ちて、溺れそうになった。それから、鳥捕りは列車内の他の乗客と違って、彼はどこへも行けず、永遠に列車内に閉じ込められて、停車の短い時間に鳥を殺す罪を繰り返し続けた。*17また、ゼネリも灯籠流しの時に川に落ちて、溺れ始まった。

 それから、罰が降り掛かったあとに、物語は「救済」の段落に入った。キリスト教における救済の術を言うと、『旧約聖書イザヤ書』の53章のイエスの受難の場面はカノンと見られている。

He hath no form nor comeliness;             (彼は醜く、威厳もない、

and we shall see him,                           みじめで、みすぼらしい;

there is no beauty that we should desire him.   人は彼を蔑み、見すてた、

He is despised and rejected of men;             忌み嫌われる者のように、

A man of sorrows, and acquainted with grief:    彼は手で顔を覆って

and we hid as it were our faces from him…     人々に侮られる;

Surely he hath borne our griefs,                  誠に彼は我々の病を負い、

and carried our sorrows.                       我々の悲しみを担った。)

――『イザヤ書』第五十三章第三節

 イエスは自分の犠牲を代わりに人類の罪を免れてあげた。それ以来、「犠牲による救済」という救済の手本を提供した。『銀河鉄道の夜』もその方法に倣った。蠍は命の最後に己の罪に気づき、神様に祈り始めた。「どうか神様。私の心をご覧下さい。こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの償には、まことのみんなの幸の為に私の体をお使ひ下さい。」と自分の犠牲による他の生き物の幸いを祈った。その後、蠍の体は「まつ赤な美しい火になつて燃えて、夜の闇を照らしてゐる」。彼の願望は最後に叶った。

 蠍が自分の命を犠牲とした方法と違い、ゼネリの場合は、彼が溺れそうになった時、カムパネルラが川に飛び込んで、彼を救った。けれど、カムパネルラ自身が溺れて亡くなった。以上の過程によって、「罪―罰―贖い」の道が作られ、救済を受けた者も救済を与えた者もよい終末を迎えた。蠍は夜空で永久に輝く炎になって、ゼネリは生き続けて、カムパネルラも「石炭袋」の周りにある彼だけが見えた天国に入った。

 3.3 永久の軌道:日蓮宗理論の「一念三千」の整合

 しかし、もし『銀河鉄道の夜』における救済について、我々の理解はキリスト教の理論領域だけに限られているのなら、私たちはこの作品の本当の素晴らしさを見落としかねない。そして、私たちの理解を深めるために、「一念三千」という日蓮宗の理念を注意しなければならない。

 堀尾青史が『宮沢賢治全集6』に書いた「切符」に関する解説と違って、西田良子は『Eureka』特集に掲載された入沢康夫天沢退二郎の討論を基に、その切符の三つの特徴を分析することによって、その「切符」は賢治理想の「大乗の菩薩行の経典」、即ち賢治が理解した『妙法蓮華経』である。*18その経典を理解するにも、日蓮宗の「一念三千」という理念は最もよい通路だと思われる。

 『摩訶止観』によると、「一念三千」の意味は「人は心の持ち方次第で三千の異なる世間を感じることが出来る」*19ということである。つまり、まずは、三千の異なる世間が存在する。そして、それぞれの異なる世間が「連結」している。その連結によって、全ての罪と幸いが通じ合っている。ゆえに、「みんな(三千世間の全ての生き物)」の幸いを求めなければ、一人一人の幸せは手に入らない。なので、浄土を築くためには、仏教の信徒だけではなく、全ての生き物の幸いを求めなければならない。

 したがって、賢治はキリスト教の世界も三千世間の一つとして認めて、キリスト教の信徒たちも自分が救うべき人々に思う。『銀河鉄道の夜』において、保坂嘉内を象徴したカムパネルラは最後にジョバンニと違った天国に消えたことも、第九章の中に「本当の神様」についての論争の緩和的な扱いも、文末の長い宗教宣教のようなブルカニロ博士の説教が最終バージョンで削除されたことも*20、この理念の明証に違いない。

 然ればこそ、北十字と南十字駅の間を走る銀河列車は、まずキリスト教の意味での罪と罰と贖いの過程を示し、そして各段階でのキリスト教日蓮宗の理念の一致したところを強調した。例えば、蠍、鳥捕りとゼネリの罪は「七つの大罪」の象徴である同時に、仏教の貪、嗔、痴とオートファジーの概念にも合っている*21タイタニックの犠牲者の天国への憧れは近代キリスト教の核心家庭の家族団欒の場面であるが*22日蓮宗の称える親孝行でもある。カムパネルラがゼネリを救った善行とジョバンニの自分を犠牲してもみんなを救おうとする意志は『イザヤ書』の第53章の複写でありながら、『法蓮経』の『常不軽菩薩品』の核心的な追求でもある。

 更に、キリスト教のみならず、儒教道教イスラム教、ユダヤ教などの宗教も、「一念三千」の理論によって整合されることはできる。『銀河鉄道の夜』に描かれた物語はただ何千、何万の可能の銀河鉄道の旅の代表的な一つにすぎない。他の宗教と世界観を巡礼する銀河鉄道列車は他の夜にまた出発することも可能である。宮沢賢治の宗教思想の最も偉大なるところは、彼は異なる宗教の間に調和できぬ矛盾はないと思い、信徒たちが主張の違いだけで敵対する、若しくは攻撃しあうべきではないと信じるということである。日蓮宗の宇宙観と方法論を創造的に活用し、他の全ての宗教を包容し、整合することこそが彼が求めた理想である。

 4. おわりに:みんなのほんたうの幸ひを探す

 「降る雪や明治は遠くなりにけり」――宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』を書き終わった1931年に、中村草田男がこのように時代の流れを名残惜しく嘆いた。

 明治ならではの現代性を抱きしめる激動を気高さを引き継ぎ、大正時代に民主主義とロマン主義が花開いた儚き美しさを吟味した。『銀河鉄道の夜』は日本の現代性文学の頂点でありながら、現代主義思潮の最初で最後の宗教的な傑作でもある。

 百年近くの時間が流れたにもかかわらず、賢治の理想は今もなお褪せざる光を煌めているーー異域の「銀河」はこんなに美しく一つになれ、共に煌々と輝けるのならば、異教の人たちも互いにお祈りを送り、遥かに見守り合うべきであろう。

みんなのほんたうの幸ひを探す

 

*1: 宮沢賢治全集におけるキリスト教の要素の整理について、参照:丁文霞:《宮沢賢治文学とキリスト教》,硕士学位论文,中国海洋大学,2011年。袁媛は丁文霞の論文に基づいて、さらにその統計を補充した。参照:袁媛:《宮沢賢治の童話における『聖書』の「愛」ーー『銀河鉄道の夜』を中心に》,硕士学位论文,四川外国语大学,2014年,第10-11页。

*2: 『銀河鉄道の夜』において、直接にこの理想を論じたのは第九章の中のジョバンニの議論:「天上へなんか行かなくたつていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももつといいとこをこさへなけあいけないつて僕の先生が云つたよ」。通論によると、この思想は恐らく『妙法蓮華経如来寿量品第十六』の「現世安楽浄土観」から生まれたと思われる。

*3:周异夫:《“法华文学与人间天堂”——宫泽贤治的理想之路》,《日语学习与研究》2003年第2期,第68页。

*4:Xinzhong, Yao. (2015). Confucian Tradition, Modernization, and Globalization, Journal of Chinese Humanities, 1(2), 246.

*5:Edward, Shils. (1971). “Tradition,” Comparative Studies in Society and History, 13(2).

*6:例えば、Ronald Inglehart & Wayne E. Bakerは現代化における各国の経済発展の総体的な方向は一致するけど、その具体の過程には、当地の歴史と文化要素の影響で、強い経路依存性があるというように述べた。参照:Ronald, Inglehart. and Wayne, Baker. (2000). “Modernization, Cultural Change, and the Persistence of Traditional Values,” American Sociological Review 65(1), 19-51.

*7:例えば、David Grossは「伝統主義」「伝統的な歴史研究」と「伝統と他者」という三つの角度から、比較的に「伝統を見直す」という命題に多くの有意義な分析を提供した。David, Gross. (1992). “Rethinking Tradition”. In The Past in Ruins: Tradition and the Critique of Modernity. University of Massachusetts Press.

*8:Williams, Mark. (2009). When Our Eyes No Longer See: Realism, Science, and Ecology in Japanese Literary Modernism (review), Monumenta Nipponica, 64(2), 413.

*9:Golley, Gregory. (2008). When Our Eyes No Longer See: Realism, Science, and Ecology in Japanese Literary Modernism (p.3). Harvard University Asia Center.

*10:Hagiwara, T. (2012). “‘Overcoming Modernity’ in Kenji Miyazawa”. In Rethinking Japanese Modernism (p.311). Leiden, The Netherlands: Brill.

*11:Golley, Gregory. Ibid., (p.173).

*12:Haruo, Shirane. (1998). Traces of Dreams: Landscape, Cultural Memory, and the Poetry of Bashō (p.243). Stanford University Press.

*13:Holt, Jon. (2014). Ticket to Salvation Nichiren Buddhism in Miyazawa Kenji’s Ginga tetsudō no yoru. Japanese Journal of Religious Studies, 41(2), 318.

*14:参照:天沢退二郎『なぜ「カムパネルラの死にあふ」か』『入沢・天沢全集』、1990年、68頁。

*15:参照:菅原智恵子宮沢賢治の青春―ただ一人の友保坂嘉内をめぐって』1994年、角川文庫。

*16:参照:Hagiwara, T. (2012). “‘Overcoming Modernity’ in Kenji Miyazawa”. In Rethinking Japanese Modernism (p.311). Leiden, The Netherlands: Brill.

*17:杨佳:《宮沢賢治の罪意識に関する一考察ーー『銀河鉄道の夜』を中心に》,硕士学位论文,北京外国语大学,2015年,第10页。

*18:西田良子『「銀河鉄道の夜」論――ジョバンニの切符』、(石内徹編、『宮澤賢治銀河鉄道の夜」作品論集』クレス出版、2001年)第91-129頁。

*19:具体的に言うと、三千とは法数の展開である。十界が互いに他の九界を具足しあっているので百界、その百界にそれぞれ十如是があるから千如是となり、千如是は五蘊世間、仮名世間、国土世間の三種世間の各々にわたるので三千世間となる。

*20:銀河鉄道の夜』は賢治の生前に出版されたことがないゆえ、その遺稿の発見には長く複雑な過程があった。主に、四つの主要なバージョンがある。Aバージョン(1940年以前)、Bバージョン(1940-1957)、Cバージョン(1964-1969)、Dバージョン(最終バージョン、1974―)。A、B、Cの三つのバージョンの間、大した差別は乗客たちの乗車の順番で、Dバージョンの一番大きな差は、ブルカニロ博士がジョバンニに語らった生と死、エネルギーと科学、認識論などについての説教は削除された。そういうことで、ジョバンニにも、読者たちにもより大きな救済への方法を考える自由を与え、もっと包容力のある宗教的な立場を示した。

*21:オートファジー(Autophagy)、または、「宇宙性オートファジー(Cosmic Autophagy)」は、非人類中心主義の「生き物たちが生きるために、他の生き物を食べなければならない」という罪の理解方である。それは生き物の永遠に逃げられない原罪である。それについての反省も賢治の多くの作品の主題である。例えば、『なめとこ山の熊』、『よだかの星』、『注文の多い料理亭』、『フランドン農学校の豚』などである。「宇宙性オートファジー」について、哲学的な討論は、参照:Norman, Brown. (1966). Love’s Body (p.170). Vintage Books; Hagiwara, T. (2012). Ibid., (p.315).

*22:富山英俊『宮沢賢治キリスト教の諸相――補論』、2017年、第104-105頁。